私は、この3つの実現を志し、その実現のために政治家を目指そうという思いに至りました。

1.平和な世界、平和な日本
2.弱い立場の人々のために
3.自然との共生

この3つは、私の幼少から現在に至るさまざまな経験、体験の中で深くそして強く考えるようになったものです。17歳の時に訪れた原爆ドーム、平和記念資料館が政治家を志そうと強く考えた原点です。1992年、私が小学生の時に成立したPKO法案がメディアに取り上げられた時に、子どもながらに戦争は恐ろしいものだという意識を持っておりましたが、広島で受けたショックが決定的なものとなりました。「2度と戦争がおきることのない世の中を創ろう。そのためには政治家になろう。世の中の空気が変わってしまった時に自分の意思を貫ける人間になろう。そのためにはまず自分自身をもっともっと磨く必要がある。」と、私は”生き絶えた子供を抱える母親”の絵の前で心に決めました。

広島から函館に戻り、心を入れ替えた私に変化が起こりました。今まで意識することがなかった身の回りの事柄や目に飛び込むニュースが一転、自分が解決すべき社会問題であると捉えられるようになったのです。私は3歳の時、両親が離婚し母の実家である函館に戻り、母ひとり子ひとりの母子家庭として育ちました。中学校、高校、大学と進むにつれ、一人親家庭の学生が極端に少なくなりました。そのことが親の経済力がもたらす教育格差を考えるようになり、早稲田大学教育学部進学後に、教育の問題について勉強するきっかけとなりました。大学では田原総一朗氏が塾頭を務める大隈塾ゼミに入り、自分の考えがまとまっていきました。多くの現役の政治家や元首相が毎週ゲストとして訪れ、政治経済そして政治家について勉強することが多くなりました。当時、私が成人し選挙権を得て初めて迎えた2003年の衆議院選挙では、民主党が177議席と躍進し、「政権交代」という言葉に気持ちが高揚したことを覚えています。北海道で育ち、自民党のスキャンダルを聞くにつれ、自民党とは違う対抗軸となる政党に心が惹かれてゆきました。また早稲田大学では、イラク戦争派兵問題から、在日朝鮮人、部落差別、セクシャルマイノリティーの当事者と出会い、話を聞くことで、そうしたさまざまな問題を自分の問題と捉えることで、「すべての弱い立場の人、マイノリティーのために」という志が加わってゆくことなりました。母子家庭で育つことで持った問題意識が敷衍し、さまざまなマイノリティーの問題、弱者の立場を理解できるようになったと考えています。

大学4年になるにあたり就職活動をする中で、25歳で被選挙権を得て政治家になるまでに、どんな仕事を経験するのが良いだろうかと真剣に考えるようになりました。ある人は政治家の秘書に、ある人は国家公務員に、ある人は新聞記者に、ある人は「まずは社会に一度出てみるのが良い」と話してくれました。
そして、ちょうど2004年にインターネット広告費がラジオ広告費を抜き、2005年にライブドア事件が起き、私は「近い将来、インターネットにより劇的な変革の時代が来る。選挙でもネットによる活動、投票が中心になる日が来るだろう」との思いから、ITベンチャー企業に入社しました。

2007年4月に入社し1ヶ月後に、大阪支社の設立を任され、その後名古屋、福岡の支社も同様ゼロから立ち上げ、顧客リストを作り、片っ端から電話かけや営業をした経験は、自信へとつながっていきました。また当時は、大阪府知事に橋下徹氏が就任し、それと前後して次々とリーダーシップのある知事が活躍する時代でした。その時代に地方で責任者として悪戦苦闘していたことが地方の政治行政のあり方、また地方から中央の政治を見る視点を養うことができたと考えています。

そして2011年の2月より成長著しいインドネシアのジャカルタに赴任し、宗教も文化も民族も異なる国で、初めて自分自身が外国人というマイノリティーの立場で生活しビジネスを創り上げていったこと、日本のそれとは比べものにならない圧倒的な貧困や格差の問題を目の当たりにしたこと、その中で教育の重要性を感じたこと、そして、外から客観的に日本を見ることなど、非常に貴重な経験を28歳より現地法人の代表としてできたことは他の何にも変えがたい財産となりました。帰国後、訪日外国人数が急増する中で「人々の草の根の交流こそ最大の安全保障」という思いから、インバウンド事業や、宿泊施設運営やwebメディア事業など海外と日本をつなげるビジネスを展開し、事業売却も経験し今に至ります。

今年、コロナウィルスが世界を襲ったことにより、私は「自然との共生」について深く考えるようになりました。インドネシア駐在中にも新興国として経済成長著しく人口も急増する中で、ゴミの山や森林伐採、焼畑、そして世界一ひどいと言われる首都ジャカルタの交通渋滞に巻き込まれる中で、「新興国も経済成長し、人口が増え、アジアからアフリカへとマーケットが移り、すべての人が車や家電を持ち、先進国並の生活をしたら地球をどうなってしまうのだろう」というビジネスとして成長を求める一方で、地球環境に対する強い危機意識を持ち、現地の日本人やインドネシア人と議論したこともありました。最近は、毎年「過去最大級」の台風が来ており、地球のあらゆる場所で最高気温が観測されています。ウィルスの感染拡大も気候変動も、人間が自然との共生を考えず、人間の発展のみを考えるようになっていると思えてなりません。そして、災害がもたらす影響は、その原因と言われている温室効果ガスを多く発生させた人ではなく、もっと弱い立場の人に強く影響をもたらします。公害、気候変動にはじまり、コロナウィルスを契機として、私はそもそも自然との共生、特に「資本主義」というシステムは本当にこのままでの良いのかというところまで含め、早急に対策していかなければならないと考えるに至りました。世の中にはイノベーションにより、社会に大きく貢献する製品やサービスが生み出されてきました。ただ社会のシステムにはイノベーションが起きていません。それができるのは政治しかないと考えています。

1.平和な世界、平和な日本
2.弱い立場の人々のために
3.自然との共生

この3つを実現し、これからを生きる世代、これから生まれてくる世代のすべての人々にとっても住み良い地球でありつづける道筋を示せるような人間をになる。今、そのような思いで奮い立っています。

高野勇斗