「どうしたら戦争のない世の中をつくることができるだろうか」
17歳の時に訪れた広島の原爆ドーム。私が政治家を志した原点です。
私は雪深い北海道函館で生まれ、母ひとり子ひとりの家庭で育ちました。親族にも政治家はひとりもおらず、政治とは縁遠い生活の中、毎日サッカーに明け暮れる普通の高校生でした。しかし、修学旅行先の広島にてガツンと頭を殴られた衝撃をきっかけに、世の中で起こっているさまざまな問題を自分自身のことと捉え、考えるようになりました。
早稲田大学卒業後、ベンチャー企業に就職し、大阪、名古屋、福岡、インドネシア、シンガポールと国内海外の拠点をゼロからつくりあげる仕事をしました。帰国後、外国人の訪日数が右肩あがりに増えていき、日本文化そのものの国際発信力が強くなっていく中、「草の根の交流こそが最大の安全保障だ」と、長年にわたり考え続けてきた命題を解決に導くひとつの答えがストンと腑に落ちたのです。そして、自らが世界と日本の架け橋になろうと、訪日外国人の観光や宿泊施設運営者を支援する事業で起業し、今に至ります。
今、世界中で、コロナ感染拡大により、資金繰りに苦しむ経営者や看板を降ろさざるを得ない飲食店、そして生活に行き詰まる人たちの悲鳴があがっています。宿泊施設を運営する仲間は大丈夫だろうか、母子家庭の親子はきちんと生活できているだろうか、そんなことばかりが頭をよぎります。
それでも、悔しいかな、日本の政治は目の前で苦しむ人々よりも、「カネ」が大好きなようです。カジノ関連の汚職事件、広島での選挙買収、元農水大臣の裏金で収賄、そして極めつきは前総理が特捜部の事情聴取で秘書が書類送検と、いったいこの国の政治はどうなってしまっているのでしょうか。感染拡大が収まらない中、オリンピックを何が何でも開催しようとする姿勢も、私には「カネ」の問題に思えてなりません。
政治家なんて誰がやっても同じかもしれません。どうせ変わらない、どうせ関係ない、たくさんのあきらめにも接してきました。それでも、私は政治家になりたい、自分こそが議員となり、人のために働きたい、そして、究極的には争いのない世界をつくるための汗をかきたい、今、そんな思いで奮い立っています。
私、高野はやとは、ここ江東区から、東京都民の暮らしを守るための闘いを始める決意をいたしました。いわゆる地縁も血縁も看板もありません。ゼロからの挑戦です。道に迷ったときは、自らの原点を決して忘れることなく、街にあふれる小さな小さな声にきちんと耳を傾ける、そんな政治家であり続ける覚悟です。皆様、どうかご指導ください。
立憲民主党東京都政策委員(江東区) 高野はやと