1.平和な世界、平和な日本
2.弱い立場の人々のために
3.自然との共生
この3つの志は、幼少から現在に至るさまざまな経験の中で強く考えるようになったものです。17歳の時に訪れた原爆ドームが政治家を志そうと考えた原点です。「2度と戦争がおきることのない世の中を創ろう。そのためには政治家になろう。世の中の空気が変わってしまった時に自分の意思を貫ける人間になろう。そのためにはまず自分自身をもっと磨く必要がある。」と心に決めました。
函館に戻り、心を入れ替えた私に変化が起こりました。今まで意識することがなかった身の回りの事柄やニュースが一転、自分が解決すべき社会問題であると捉えられるようになったのです。私は3歳の時、両親が離婚し母の実家である函館に戻り、母一人子一人の母子家庭として育ちました。高校、大学と進むにつれ、一人親家庭の学生が極端に少なくなりました。そのことが親の経済力がもたらす教育格差を考えるようになり、早稲田大学教育学部進学後に、教育問題について勉強するきっかけとなりました。大学では田原総一朗氏が塾頭を務める大隈塾ゼミに入り、現役政治家や元首相が毎週ゲストとして訪れ、政治経済に勉強することが多くなりました。また大学時代は、イラク派遣問題から、在日朝鮮人、部落差別、セクシャルマイノリティーの当事者と出会い話を聞くことにより自分の問題と捉えることで、「すべての弱い立場の人、マイノリティーのために」という志が加わっていきました。母子家庭で育つことで持った問題意識が敷衍し、弱い人の立場を理解できるようになったと考えています。
就職活動をする中で、25歳で被選挙権を得るまでに経験すべきはどんな仕事が良いだろうかと考えるようになりました。2004年にインターネット広告費がラジオ広告費を抜き、私は「近い将来インターネットにより劇的な変革の時代が来る。選挙でもネットによる活動が中心になるだろう」との思いから、ITベンチャー企業に入社しました。
2007年4月に入社し1ヶ月後に、大阪支社の設立を任され、顧客リストを作り、片っ端から電話や営業をした経験は自信になりました。そして2011年より成長著しいインドネシアのジャカルタに赴任し、宗教も文化も民族も異なる国で、初めて自分自身が外国人というマイノリティーの立場で生活しビジネスと作り上げていったこと、日本のそれとは比べものにならない貧困や格差を目の当たりにしたこと、その中で教育の重要性を感じたこと、そして客観的に日本を見ることなど、28歳より現地法人の代表として経験できたことは財産となりました。帰国後、訪日外国人が急増する中「人々の草の根の交流こそ最大の安全保障」という思いから、インバウンド事業、宿泊施設運営など海外と日本をつなぐビジネスを展開し事業売却を経て今に至ります。
今年、コロナウィルスが世界を襲ったことにより「自然との共生」について考えるようになりました。最近は「過去最大級」の台風が毎年来ており、最高気温が各地で観測されています。ウィルスの感染拡大も気候変動も、人間の発展のみを考えるようになったからだと思えてなりません。公害、気候変動にはじまり、コロナウィルスを契機として、私は自然との共生、特に「資本主義」というシステムには早急な対策が必要だと考えるに至りました。世の中にはイノベーションにより社会貢献する製品やサービスが生み出されてきましたが、社会のシステムにはイノベーションが起きていません。それができるのは政治しかないと考えます。
3つの志を実現し、これからを生きる世代にとって住み良い地球でありつづける道筋を示せるよう努力していきます。
高野はやと(東京都江東区)