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僕が政治家にならなかった理由

「僕が政治家にならなかった理由は、権力には必ず勝ち負けがあるから。勝ち負けがない場所にいたかった」

田原総一朗さんとのお食事でのお話。

これは今なら非常に納得。権力争いというのは、負けてしまうとすべてを奪われる。民間での勝負は負けても生活まで奪われることはなく、何度でも復活できる。

一方、政治権力の争いは本当に奪われる。一家浪党すべて失った人も多いのではないだろうか。しかも勝負は公平に行われるものではない。スタートの時点で差がある。現代においては、負けても命だけは奪われないがそれ以外は失う覚悟がないとやってはならない。

民間や行政組織内での勝負。食い扶持まで奪われることはない。企業間の争いも個人は守られる。スタートアップや中小企業の経営。これは連帯債務あり。権力の勝負で負けると公的保証はなし。私的絆も奪われる場合も多いため生活に支障をきたす。人の生活の前に自分の生活が覚束ないため視野狭窄に陥る。ジャーナリストとして客観的に見れば見るほどそこから遠ざかっていったのだと思う。

全財産を不動産や株に投資してもFXでレバレッジ効かす以外は、額が減ってもゼロになることはない。起業という名の投資はマイナスになる可能性はあるが公的投資含めヘッジできる方法は増えている。権力勝負だけは負けると本当に残らない。投資し作り上げたアセット(があるとしたのなら)を生かす方法は次も同じ勝負をすることだけ。それがさらに深みにはまることにもなる。

であるからこそ、立ち返るための「原点」が必要であるし、右手に算盤の代わりにマイク、左手には『論語』の代わりにヴェーバーの『職業としての政治』を常に携えておかねばならない。

お食事会の翌日、憲政の神様である尾崎行雄の最後のエピソードを知った。連続当選25回。議員在職63年。最後の選挙は落選したのだ。落選した尾崎はみるみる衰弱し回復の希望を失ったという。生きる張り合いが大事ということなのかもしれない。