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日本国憲法における義務教育と給食費無償化

江東区では10月より小中学校の給食費無償化がはじまる。だが、これは区立の小中学校であり、都立や私立、各種学校などは対象とはならない。今回、私高野が所属する会派「江東新時代の会」より、江東区長へ「都立の特別支援学校でも給食費無償化を求める要望」を提出した。区立の小中学校に通うことできず、都立しか選択肢がない生徒へも配慮を求める。

私は、そもそもこうした不公平が起きないよう、国がすべての公立の小中学校の給食費を無償化すべきだとかねてより考える。それは憲法にある「子女に教育を受けさせる義務」義務教育の中に給食も含まれるからである。憲法における義務教育の義務とは、保護者にとっての義務ではなく、国及び自治体にとっての義務のことである。

憲法が施行された当時、日本は戦後の焼け野原の上にあった。給食などない。それどころか食べ物が十分にない。校舎もない。黒板もない。青空教室。教科書も文具も満足にない。交通機関もない。そのような状況下でできる義務教育、無償で提供できるものといえば、教師の懸命な努力による平等な教育の機会の提供、つまり授業することぐらいしかできなかった。親の所得に関係なく、すべての子どもが宝。戦争で多くの未来ある若者を失った日本。未来ある子どもの成長こそが国の未来。教育こそが国の未来。そう願った。

時代は進み、今はどうであろうか。校舎もある。教科書もある。文具もある。交通機関もある。黒板どころかインターネットもある。給食も全国に普及している。それらは別個にすることはできない。すべてが平等な教育を実現するために必要な要素である。義務教育を構成している。

また、当時は高校への進学率は低かった。戦争孤児も多く、中学どころか小学校にすら満足に通えないこどもに、せめて中学までは行かせてあげなければならないという思いであった。今はどうであろうか。中学どころか高校への進学率も100%に近づいている。ここまで100%に近づくと反対に高校に通えないこどもたちの事情が気になる。家庭の事情、経済の問題で通えないこどもも少なくない。

みなさんは「最高学府」という言葉を知っているだろうか。多くの人は「東京大学」または東大とそれに比する旧帝大と答えるだろう。正解は違う。最高学府とは、大学のことである。当時は、大学への進学は夢のまた夢のような時代であった。現在、大学の進学率は60%近くまで伸びている。

それだけ時代が変わってきている。高校の教育費も義務教育の延長線上と捉えることができる。あまねくこどもを受け入れる教育体制を、戦後日本は整えてきたというのに、経済の問題で高校に通えないこどもが存在している。高校の教育費までを無償化すべきである。

では、小中の給食費と高校の教育費を誰が負担するか。国が負担すべきである。私は自治体に予算と権限を委譲し、住民に近い基礎自治体でできることは基礎自治体に、広域で必要なことは広域自治体がすべきだと考えている。

また、自治体が独自の政策で切磋琢磨し、住民がどの自治体のサービスが良いかを選び、移住することは非常に大事であると考えている。しかし、憲法26条第2項にある「すべての国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負う。義務教育は、これを無償とする」に給食費は含まれ、高校教育は延長線上にある。大学でさえも延長線上にあると考える時代である。加えて、少子化、都市化、核家族化、世帯人数の減少、共働き世帯の増加、地域コミュニティの希薄化により小学校入学より前の段階でも必要性を十分感じる時代である。

自治体が、給食の中身、例えば味や地場でとれた野菜を使うなど質で勝負するなら良いが、給食費が有料か無料か教育費が無料かどうかで差をつけるべきではないと考える。すべてのこどもに平等な教育の機会を提供すべきである。

先般、江東区において事実婚を含むパートナーシップ条例を実現すると投稿した時と同様、自治体が、給食費無償化や高校教育の無償化の負担をするのは過渡期である。国が動かないから先手を打って変えるためである。国の重い腰を上げるために、まず住民のニーズを最も近いところで把握できる自治体や議員が政策を掲げ、実現する。広域自治体、そして国がしっかり把握し、法律を変える、新しい法律を成立させる。そうして少しずつ世の中が変わる。

そのような未来を描きながら、今日も区民の声を一番近くで聴くため、街頭に立ち続ける。一歩一歩、確実に着実に。

高野はやと@江東区

https://note.com/takano_hayato38/n/ne58b389882b9