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故郷函館で考えるせまりくる日本の未来

水曜日に到着すると、峠を越え、小康状態の祖母の横で太陽の光を浴びながら座っています。コメントくださった皆さまには心より感謝申し上げます。ありがとうございます。

男子普通選挙法と同時に治安維持法が制定された1925年(大正14年)に祖母は、新潟で生まれ、大阪で育ち、親と函館に住み、終戦を迎えました。シベリア抑留から帰還した親戚にあたる祖父と結婚。3人の子どもに恵まれ、その末っ子が私の母。大正→昭和→平成→令和を自分の目で見てきました。

おとなしく目立ちたがらない人が多いと言われる高野家ではただ1人、社交的な性格の祖母。その祖母に小学生時代、育てられたのが孫の私。酒、タバコもやるし、詩吟の会、お寺に行き、私を連れて古本屋巡り、一銭店屋経営、接客業、GLAYの大大大ファンとして6時の報道ニュースに取り上げられるなどさまざまな思い出が蘇ります。小説だけでなく、新聞や週刊誌など活字が大好きで、政治から芸能まで詳しいおしゃべり好きな祖母。祖父が早くに脳溢血により発音不明瞭になったのもあり、戦争の話は祖母から昔聞きました。

病院では、定期的に酸素や尿の量を確認、補充。夜に熱が出て、下熱剤で下げるの繰り返し。床ずれ防止のため、向きを変える。足に血が行き届いているかも確認。医療現場の方々の奮闘ぶりに頭が下がると同時に、超高齢化社会の到来を憂いています。

一つ年下の介護施設で働く従兄弟からは「この仕事にこの給料じゃ、若い人来ねえよ。医療もそうだけど民間の介護はもっとひでえよ。はやとなんとかしてけれ」

人口減少と高齢化凄まじい函館に関する雑誌や新聞、フリーマガジンなどを読みました。夕方から大門地区、西部地区、本町五稜郭地区を回りました。海外から来た観光客がウロウロしているが店は開いてない。飲食店側から聞くと客が来ないから店開けても仕方ないべ。悪循環を招いています。

かつて世界一だった「100万ドルの夜景」の光も、24万人の人口では維持できず暗くなるばかり。

北海道新幹線は、函館駅から18kmも離れている新函館北斗駅。市内公共交通機関でさえ普及が進んでいるICカードも使えず、乗り換え待ちに20分、到着まで23分かかるようでは札幌駅まで開通時には素通りされます。

「4時間の壁」の法則を考慮すると、東北圏や道内など近距離圏からの誘致も考えると新幹線の函館駅乗り入れは必須。年間利用者が函館空港の倍あることからニーズは高い。加えて、函館駅前の大門地区の活性化。棒二跡地の早期開業や星野リゾートのOMOの開業もそうなのですが、人口25万人を切るサイズで、繁華街が湯の川含め4つもあると維持は厳しい。4地区が同時に廃れていきます。

市電またはJRの駅のあるエリアへの、建て替えや引越しに伴うものも含め集住策は必須だと考えます。集住のネックは、地元への愛着と土地の価格、車社会に慣れた人々の生活コスト。行政はできる限り丁寧な対応と日頃のアウトリーチによるニーズ把握と発信、そして助成や減税で対応。また、コンビニやホームセンターに歩いていくと駐車場が広大すぎて、入り口にたどり着くまでにヘトヘト。将来を見据えた車中心の社会からの転換を。

高野はやと@江東区