どうしても忘れられないことなので書き残しておきたい。妻と沖縄に訪れた時のこと。沖縄戦で米軍が上陸した際に、140人中83人もの人が集団自決により亡くなった読谷村にある洞窟チビチリガマを訪れたことがある。
夕方に到着すると、ガマの前で1人の女性が掃き掃除をされていた。我々が手を合わせたり、慰霊碑を読んでいるとその方が「よろしかったら、普段は修学旅行生にガイドをしているのでご説明しましょうか」
すでに書籍や動画などを通してチビチリガマと、その近くにあり1人も犠牲者を出すことのなかったシムクガマについても学習はしていたが、その女性の熱意から、当時の状況や今なお苦しんでいる遺族の切実さが伝わってきた。戦時中も戦後も日本復帰後も、沖縄がまったく日本に守られていない、捨て石のままであることも切実に訴えてこられた。
すると、たまたま雨が降ってきて、今は立ち入り禁止になっている真っ暗なガマの中に、その女性は通してくださり、話を続けられた。我々2人のために、戦後も遺族がこの小さな村で家族や近所の人を殺してしまったことや殺されたこと、そして生き残ってしまったことを長年誰にも話すことなく、苦しみながら暮らしていることから、集団自決のことを知らない近所の学生が墓荒らしをしたことなどまで、教育の重要性について真剣にお話してくださった。20分はゆうに超えていた。そのあたりで海外から観光客が来たので話を止めたのだが、最後に私に
「もしかして学校の先生ですか?」と聞いてきた。
私は私服でジーパン姿だったのたが、「実は東京で区議会議員をしてまして」と答えると「なんかそのような気がしました」と笑顔になり、さらに「さし支えなければ、どちらの政党ですか?」と聞かれたので「立憲民主党です」と答えると、満面の笑みになり、私の肩をパンと叩いて「よかった!ちょっと待っててください。どうしても私の名刺と活動のチラシを渡したい」と急いで車に戻り、「ここで出逢えたのも何かの縁ですね。1人でも多くの人にこの話を伝えてほしい」と、名刺とチラシを渡してくださいました。一連の出来事を1番隣にいた妻が驚き喜んでおりました。
失礼ながら存じ上げませんでしたが非常に著名な方でしたのでご紹介させて頂きます。地域ガイドの比嘉さん、ありがとうございました。私の母と同い年の比嘉さんから大変貴重な話をありがとうございました。教育の大切さ、民主主義の大切さ、平和の尊さ、基地問題の本質、そして何より知ることの大切さ、次の世代に伝えることの大事さを学びました。常に本気で常に真剣に伝えることで伝わることを学びました。しっかりと受け止めて生かして参ります。また必ず来ます。
高野勇斗