新会派を結成し、初の予算審査なのでしっかりと我が会派のスタンスとその根底にある考えを書いておきたい。昨年の国民健康保険、そして障害児通所支援施設 、DVなどの事情で逃れた方を保護する母子寮、そして今回は、災害で逃げ遅れる可能性がある高齢者や障がい者などの要支援者の優先的避難計画、生活保護行政、女性やひとり親家庭支援などへの支援を促進するために新設される課について質疑をおこなった。すべて「セーフティネット」に関する質疑である。
昨日は、会派を共に組む間庭区議が会長をつとめる江東社会福祉会のイベントに妻と参加した。まず『不安の正体』というドキュメンタリー映画を見てからパネルディスカッション。映画の内容は、精神障害者のためのグループホームの建設計画があり、近隣住民が反対運動を起こす。「治安が悪化する」「不動産価値が下がる」など怒号が飛び交う。こうした近隣住民に対して、どう取り組むか、どう彼らの不安を取り除いていくかという視点から話は進む。港区の南青山で起きた児童相談所設置に対する近隣住民の反対の声、江東区でも初となる重度障害者も入居可能な日中サービス支援型グループホームの整備計画に関する住民説明会があり、その反対の声も紹介した。
これらの問題に取り組む時に非常に大事な考えがある。それは「弱者に配慮する」とか「困った人を助ける」ということではないということ。そうではなく「いつかは自分がその立場になるかもしれない」「この問題は、未来の自分や家族を助けることになる」という視点から問題意識を持ち、解決するということである。つまり、これは利他的というより、極めて利己的な考えに基づく行動なのである。
パネルディスカッションに登壇された弁護士や専門家、NPO法人の方の意見は大変参考になったが、2つ気になることがあった。1つが、反対運動する住民の気持ちも理解すべきということ。理解の欠如やあさましくさもしいだけでは片付けらない。
反対する人々の感情というのは実は多くの人が持っている。そうした不安を払拭する方法は、問題の正しい理解や、当事者と接する機会を増やすことだけでは、根本的な解決にはならないと考えている。そもそもこの会場に集まっている人は全員そうした問題に既に理解がある人だ。社会福祉士から、子どもが知的障害の方、精神障害の方、NPOや市民運動の団体の方で、反対の人はこの会場にはいない。
そうした啓蒙も非常に大事なことではあるが、もっと大事なことは「いつかは自分がその立場になるかもしれない。職場で人間関係のもつれから、うつになり、重度になり、仕事ができなくなり、困窮するかもしれない。また、たとえ自分でなくても家族がそうなるかもしれない。そう考えると、自分だけは例外ではなく、未来の自分たちのためにも制度を整えていこう」そして「様々な立場の人が共存できる社会の方が、柔軟に課題解決しやすく圧倒的に豊かだし、成長できるし、経済も発展する。将来に不安がない社会に人は集まる」この事実に気づいてもらうこと。そうした社会の構築のために、質疑をしているのである。弱者のためではなく、自分のためである。未来の自分たちのためである。
また、精神障がいの方との接触機会を増やすべきとあったが、実はこれだけははっきりと誤解だ。精神障がいでもLGBTQでも困窮者でもひとり親でも外からはわからない。なんら変わりがない。毎日街頭に立って何百人もの人を見ているが、外からはわからないのである。週明けの月曜日の朝に、いつもより明るく元気に挨拶するのはわからないことの裏返しである。ここ2年で、精神に障害があると告白してお声がけしてくださった方は3名。LGBTQは2名。生活保護は2名。ひとり親は2,3名程度。これだけである。彼らの自己申告のみが気づく手段である。多くの人がそうした方と日々接触しているのである。気づかないだけである。つまり、誰にでも分け隔てなく同じ対応で良いのではある。
この事実を会場で手を上げて発言しようとしたが、最後に精神科医の方が手を上げて同じ内容の訂正をしてくださった。そして、精神障がいの方もLGBTQも困窮者と名前がついているが、一人一人症状も立場も認識も環境も違い、ひとくくりにできない。正しい理解も大事だが、まずは何より自分の問題と捉えるようにすること。でなければ、分断を解消することはできず、溝はさらに深まる。また、自分の自由を認めてもらうためには、相手の自由も認める必要があるという認識も社会で生きてく上では大事。これを反転可能性という。
政治は弱い立場のためにあるが、その弱い立場というのは未来の自分である。未来の自分や家族を救うために、そして未来の江東区を、日本を、世界をよりよくしてゆくという視点から質疑をしてゆく。であるからこそ、一部の人のためだけでなく、54万すべての江東区民に届くようこれからも発信してゆく。